悠久の風に吹かれて

Blowin' in the Eternal Wind

インド旅行8 マハ―バリプラム

チェンナイからマハ―バリプラムへ向かいます

 

チェンナイはインド4大都市のひとつで、デリー、ムンバイ、コルカタにつぐ人口を持ち、市内は最近開業したメトロも整備されています。チェンナイとは聞きなれない都市名ですが、1996年まではマドラスと呼ばれていました。実はインドでは植民地時代に由来する都市名が、従来の伝統的な呼び名に変更される動きがあり、ボンベイはムンバイに、カルカッタコルカタに変更されています。私は昔アパレル関係の仕事をしていたので、インドのマドラス・チェックを扱うこともありました。マドラス・チェックとは赤・青・黄などの原色の先染めの糸を使ってた織り上げた格子柄の織物のことで、鮮やかで透明感のあるデザインが特徴です。インドのマドラス発祥の生地だと言われています。そんな訳でマドラスの呼称には愛着があったのですが、インド人がチェンナイの方がいいというのでは仕方ないですね。ちなみにタイの北部には、チェンマイやチェンライという都市もあり、人にチェンナイのことを話すと、よくチェンマイと間違われました。ちょっと紛らわしいですよね。

マハ―バリプラムに行く

マハ―バリプラムはチェンナイの南方50kmほどのところにある港町です。ここにある建造物群は世界遺産にも指定されており、インド古代建築史上における最も重要な遺跡のひとつとされています。そして私の今回の旅行の3大目的地のひとつです。他の方のブログでマハ―バリプラムへの行きかたが詳しく説明されていたので、そちらを参考にさせて頂きました。

チェンナイのメトロエグモア駅

 

まず、メトロでCMBTバスターミナルに向かいます。ホテルはインド国営鉄道のチェンナイ・エグモア駅の南側にあったのですが、メトロの駅はエグモア駅の北側にあり、わざわざ跨線橋を渡らないとたどり着けないんです。日本だったら南北どちらかからもアクセスできるようにすると思うのですが、そこはインド一筋縄ではいきません。メトロに乗って10駅くらいでCMBT駅に到着しました。

 

 

CMBTバスターミナル

 

CMBTバスターミナルは遠目に見るとバス停とは思えない大きな建物が立っており、まるで電車のターミナル駅のようです。インドは鉄道大国ですが、広大な国土を鉄道路線がカバーすることは難しく、中距離の移動はバスが中心に使われているようです。30ほどのバス発着場がある中で、先のブログにあった188番のバスを探していたのですが、なかなか見つかりません。看板も英語の表記が申し訳ない程度にあるだけで、わかりにくいんです。

 

バスの時刻表

 

近くのインド人に「マハ―パリブラム行きのバスはどこですか?」と聞いてみると「反対側だよ」と言われました。一度戻って、反対側の発着場に行くとやっと188番のバスが見つかりました。目的のバスに乗り込みましたが、結構年季の入った車体でもちろんエアコンなんてありません。

 

バス乗り場

 

バスが発車してしばらくは車内も空いていて、窓際の席だったので風も入ってきて快適だったのですが、バス停で停車する度に人がどんどん乗ってきます。15分も走ると車内は人でいっぱいになり、人いきれでムンムンしてきました。バスの車掌が来て行先を尋ねられたので、マハ―バリプラムと答え、運賃を支払いました。料金は70ルピー。それから2時間ほどインドの田舎道をバスは走り、周囲の景色は海が見えるようになりました。そして、隣に座っていた人が、「もうすぐマハ―バリプラムだよ」と教えてくれました。車掌との会話を覚えてくれていたんですね。やがてバスが停車して、そこで降車しました。

 

バスの車内

5つのラタ

バスの停留所はマハ―バリプラムの中心地から1kmほど北に離れたところにあり、5つのラタはその中心地からさらに南1kmのところにあります。いつものようにそこまで歩いていくことにしました。暑い中30分ほど歩いてようやく5つのラタのところに到着しました。入り口で入場料600ルピーを支払いました。結構高額ですが、このチケットで5つのラタ、海岸寺院、クリシュナバターボールがある遺跡公園の3つに入場することができます。5つのラタは別項でも書いた Oriental Architecture /1 の表紙にもなっていて、今回のインド旅行で最も楽しみにしていた遺跡です。この遺跡は7世紀に建造されたもので、それぞれ1つの大きな岩から掘り出された石彫寺院です。

 

5つラタの平面図 [Huntington : The Art of Ancient India]

 

敷地内に5つあるラタの形状は、それぞれ様式が異なっておりユニークです。そのうちの4つは、直線状に並んでいおり、前方後円形のナクラ・サハーデーヴァ・ラタがその列から少し離れて建てられています。

 

5つのラタの全景

 

アルジュナ・ラタ(左)とナクラ・サハーデーヴァ・ラタ(右)

 

ドラウパディー・ラタとビーマ・ラタは木造で作られた方形の民家の形状を石で模倣しており、日本の茅葺き屋根の家屋にも似ています。それぞれの建物は寺院建築のような相互関連性がないように見え、全体は当時の建築様式の展示場のようです。

 

手前からダルマラージャ・ラタ、ビーマ・ラタ

 

この中で最も背の高いダルマラージャ・ラタは未完のようですが、以後の南方型の寺院建築の原型となった重要な遺跡です。

 

ダルマラージャ・ラタと筆者

 

それぞれのラタは少し赤みが指した花崗岩で作られており、その微妙な色合いが美しいです。ラタの細部の意匠は、大昔に作られたものなのに少しも古びておらず、何か近未来的なイメージがあるように感じました。柱頭の部分を良く見ると日本の寺院建築にある斗栱のようなものも見られ興味深いです。この遺跡は木造建築を模して造られたものなので、そこから逆算して当時の木造建築様式を想像することができますね。そんなに広くはない敷地を、インド人の観光客がひっきりなしに訪れてきます。そんな中、私はゆっくりと悠久の時を経た古代の建築を堪能しました。

海岸寺

5つのラタを出て北側に歩いて行きます。5つのラタの近くの帰り道には公園があり、その中に色々な店があり、工芸品や雑貨や衣類を売っていました。そこから一旦市内中央部に戻り、それから海の方に歩いて海岸寺院に向かいます。寺院の周辺の参道は食堂や土産物店などがたくさんあり、にぎわっていました。海岸寺院は海のすぐ近くにあり、周辺は広い敷地の公園となっています。ここは5つのラタよりさらにたくさんのインド人の観光客がいて、かなり人気のスポットのようで、もはや人を入れずに写真を撮るのは不可能でした。

 

遠くから見る海岸寺

 

海岸寺院は先のダルマラージャ・ラタを更に拡張した形状をしていますが、こちらは石造建築です。遠くから眺めると2つの祠堂からなる、その優美なシルエットは美しいのですが、近くで見ると潮風の浸食による風化がかなり進んでいます。かと言って潮風から守る防護壁なんかを作ると景観が台無しになってしまいます。何かナノ粒子を石にコーティングして風化を防止する、みたいなことができないんでしょうか?

 

海岸寺

海岸寺院の帰り道の参道の食堂で、昼食のミールスを食べました。120ルピー。現地人向けの味付けなので、結構辛かった。ちなみにミールスとは南インドの定食のことで、それぞれ小さな器に入った、お米・カレー・副菜などの料理がバナナの葉の上に並べられています。インド人はこれらをバナナの葉の上で手で混ぜながら食べます。私は手で食べるのは慣れてないのでスプーンをつけてもらいました。南インドミールスに対して、北インドの定食はターリーと言うそうです。

 

食堂とミールス

クリシュナのバターボール

この日は2つの遺跡を見て十分に満足したのですが、時間もあるしついでにクリシュナのバターボールも見て行くことにしました。これは遺跡ではないのですが、落ちそうで落ちない不安定な巨大な岩が観光名所になり、今風に言うとインスタ映えスポットとなっています。

まずアルジュナの苦行という巨大な石の彫刻を見に行きます。ここも映えスポットになっており、無料で見ることができることもあって、自撮りする観光客でごった返していました。この彫刻の中の象は、実物大の大きさがあるそうで、そこから彫刻の巨大さがわかると思います。

 

アルジュナの苦行

 

アルジュナの苦行を少し北に進むと、バターボールにある遺跡公園の入口があります。遺跡公園の敷地は広く、私は朝から歩き回って疲れていたのでさっさとバターボールだけ見て帰るつもりでした。バターボールはちょっとした岡を上ったところにありました。

 

クリシュナのバターボール

 

バターボールを見たあと辺りを少し散歩すると、何か遺跡のようなものがあったんです。つまりこの公園自体が巨大な岩山で、そこにたくさんの石窟寺院が作られていたんですね。それから疲れた体に鞭打って、公園内の遺跡を順番に見ることにしました。しかし広い敷地な上、小ぶりな山のようにかなり高低差があって、結構見てまわるのは大変でした。それぞれ小規模ながらも味のある遺跡で、バターボールをスルーせずこの公園に来てよかったです。

 

公園内の遺跡

チェンナイに帰還する

そこからまた1km歩いてバス停へと戻ります。道すがらの店でアイスコーヒーを飲んで休憩しました。インドのアイスコーヒーは甘くて疲れた体に沁みます。ようやくバス停に到着しました。しかし、バスの時刻表などはなく、いつバスがくるのか全くわかりません。20分ほど待ってみて、何台かバスが通りすぎましたが、188番のバスは来ません。暇なので辺りをちょっと散歩してついバス停から200mくらい離れてしまいました。その瞬間、南の方から1台のバスが近づいてきます。すぐにバス停に戻ろうとしましたが、無常にも188番のバスはスピードを全く落とさずバス停を通り過ぎてしまいました。あーあ。しかし、あのスピードで走行して本当にバス停で止まる気あるんでしょうか?

 

休憩したインドのカフェ?

 

また次のバスを待っても良かったのですが、先のブログには、別なバスでチェンナイ近郊に行き、そこから鉄道に乗り換えて戻ったことが書いてあったんです。そこで町の中心部で見かけたバス停に戻ることにしました。町に戻る途中で遠くから何か爆発音が聞こえてきました。何だろうと思ったのですが、その後に太鼓の音が聞こえてきて、人、バイク、車で構成された、何か宗教的なパレードがゆっくりと私の横を通過していきました。爆発音は時々鳴らされる爆竹の音で、道路上にマリ―ゴールドの花が投げ散らかしながらパレードは続いていきました。

 

 

パレード

 

さて中心部のバス停に到着しました。バス停にはブログで紹介されていた515番のタンバラム行きのバスが停車していたのでそれに乗り込みました。このバスはマハ―バリプラムが始発なので、ゆっくり座ることができました。こちらのバスにして正解だったようです。やがてバスは発車しましたが、途中のバス停でどんどん人が乗り込んで来て、気づくとまた車内はぎゅうぎゅう詰めです。そうこうして1時間あまりでタンバラムに到着しました。

タンバラムに着いたバスと陸橋からの眺め

 

タンバラムの駅前の道路はバスやリキシャが何台も停車していて、バスから降車する人、バスに乗る人などでごった返していました。タンバラムは結構大きなターミナル駅のようですが、ロータリーのようなものはなく、少し広がった道路がロータリーの代わりになっていました。陸橋を渡って道の反対側の駅に行き、窓口でエグモア駅までのチケットを10ルピーで購入しました。安い。電車の行く先をよく確かめて、エグモア方面行きのホームで電車を待ちました。10分ほどで到着した電車は、すでにお客さんでいっぱいでしたが、走行中も開けっ放しのドアの所に立っている人をかき分けて、なんとか車内にもぐりこみました。電車は、もしかしてイギリスの植民地時代に作られたもの?と思うくらい年季が入っていて、ペンキを雑に塗りなおしたりしています。そして天井にはたくさんの扇風機が設置されていて、まるでキノコがニョキニョキと生えているようです。途中で雨が降ってきたので、車内のインド人が窓を閉めようとしていましたが、建付けが悪くなっていて苦労していました。

 

電車内の様子

 

電車の外観

 

タンバラムからエグモア駅まで10駅くらいです。30分ほどかかってエグモア駅に到着しました。ホテルに戻る前に駅周辺を少し散歩してみましたが、古い年代に作られたと見られる繁華街がありました。

 

エグモア駅

駅前の繁華街

 

ホテルに戻った後、1階にあるBarに行ってビールを飲み、夕食を食べました。このホテルのBarは広くて天井も高く、内装もあか抜けていてかなりいい感じでした。さて、明日からは、チェンナイからクンバコーナムへ1泊2日の小旅行に出かけます。

 

ホテルのバー